2009/08/19

希望の花

会員のティンウィン(東京)さんから「希望の花」と題した詩をいただきました。この詩の中の祈りを水とする比喩からは、日本でもかつて日蓮が信仰を水に喩えたことがあるのが思い出されます。


希望の花
公園の花壇に

色とりどりの花が 咲いている

誰かが 種を まき

誰かが 水を あげるから

赤や青、黄色や緑

水を もらって お花達は 嬉しそう

それを 見る 大人も 子供も 嬉しそう

やがて 誰かが 花壇を こわし

水を もらえない 花達は 枯れてゆく

私達の 花は スーチー氏

スーチー氏が 笑うと 私達も嬉しい

スーチー氏の 花は 私達

私達が 笑うと スーチー氏も嬉しい

やがて 誰かが スーチー氏を連れ去り

スーチー氏の 姿が 見えない私達は 悲しんでいる

哀しむ 私達を見て スーチー氏は 枯れてゆく


皆で 笑顔を 取り戻そう

私達が 笑うと スーチー氏は嬉しい

スーチー氏が 笑うと 私達は喜ぶ


心の中に 祈りという 水を 持とう


世界の すべて


遠い 遠い 果てまで 願い声が届くよう


私達の


祈りと 笑顔という 水は


スーチー氏に 届くだろう


そして また


大きな花が 咲くだろう


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ティン ウィン(東京)

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